あまたの顔の庭 ──特別展『日本の仮面──芸能と祭りの世界』に行ってきました

 2024年5月19日、国立民族学博物館でやっていた特別展『日本の仮面──芸能と祭りの世界』を見に行った。

みんぱく創設50周年記念特別展「日本の仮面――芸能と祭りの世界」 – 国立民族学博物館

 昨年見に行った特別展『ラテンアメリカの民衆芸術』は、ラテンアメリカ民衆芸術(アルテ・ポプラル)の作られてきた経緯に関して、生活や信仰に根付いた伝統的な工芸品が商業的な戦略に基づいて発展していく一方で、他方では民衆に対する暴力や、暴力に対する抵抗を記録するためのツールとして作り続けられてきたという歴史的な面に焦点を当てながら、数えきれないほどの民衆芸術の作品を展示するという、目がくらくらするような展覧会だった。

歴史、人種、信仰の交錯から考える次の社会。国立民族学博物館の特別展「ラテンアメリカの民衆芸術」の意義とは|美術手帖

ひとつひとつの作品は確かに、私が会ったことのない、どこかで確かに生きている/生きていた誰かが自らの手で作り上げたものだろうし、そのひとの経験や記憶がそれらを作り手に作らしめたのだということは理解していた(それでも、エリベルト・オルテガ・ゴンザレスの「生命の木」のような作品が人の手によって確かに作られたと考えると、どこか気が遠くなる)。しかし、歴史的な流れを追うのに精一杯になる中で、目の前の造形からそれを作ったであろう人間の手を、記憶の痕跡を見出し、肌で感じようとし続けるのが難しくなったのもまた確かだった。

 特別展『ラテンアメリカの民衆芸術』の最後には「ラテンアメリカ世界の多様性」と呼ばれる章があった。それまでに見てきた一つひとつの作品は、確かにそれぞれの作り手が暮らす国の、地域の、民族の、家族の、人の、あるいは人々の記憶の唯一性に依って作られており、それが作品の中に息づいていること、それがとりも直さずここまで見てきた気の遠くなるほどの数の作品の多様性の源なのだということを、ほぼ力づくで思い出させられた。

 そのことを思い出させたのは、つまりこの「ラテンアメリカ世界の多様性」で展示されていたのは、全て仮面であった。動物、人、神話上の存在に至るまで、さまざまな表情をしたさまざまな色どりのさまざまな形の、そして、さまざまな記憶を刻まれた一つ一つの顔が、展覧会を後にしようとする我々を両壁からじっと眼差す。なぜかはわからないが、ひとりひとりの作り手の手が生み出した造形、その向こうに確かに存在するひとりひとりの人間の存在を、仮面はことさらこちらへ伝えてくるような気がした。

 

 特別展『日本の仮面──芸能と祭りの世界』が気になったのは、『ラテンアメリカの民衆芸術』においてとりわけ印象的だった仮面だけの展示のことを思い出したからだった。しかし『ラテンアメリカの民衆芸術』では、その受容よりもむしろ民衆芸術が製作されるということ自体に重きを置いていたが故に最終章における展示が成立したと思われる一方で、『日本の仮面 ──芸能と祭りの世界』では、作り手の存在は(ところどころでその存在を浮かび上がらせる記述や展示はあるものの)比較的遠ざけられ、その結果、『ラテンアメリカの民衆芸術』の展示から想像・連想していたものとは異なる建て付けの展示と出会うことになった。そこでは、物質としての、表象の宿る場所としての仮面と、その面をつける人間の存在に焦点が当てられている。

 展示は、大きく分けて前半部分において、日本における仮面を用いた祭り・芸能の歴史と、個々の特徴的な祭り・芸能の概要を訪ね、後半ではこれまで横軸に沿って見てきた仮面というものを、今度は縦に見ていくことになる。つまり、さまざまな祭り・芸能の面を、道化や動物、鬼や神などと言った種類ごとに分類し、その共通点と多様性を俯瞰する、という内容である。面を用いた祭りや芸能に縁遠かった身としては、前半部で立て続けに紹介されるさまざまな習俗の一つ一つに「こんな祭りがあるんだなあ」と、ある種平静さを伴った圧倒感を感じながら、ひたすら面を見て、キャプションを読んで、祭りの映像を眺めることを繰り返した。知らないところの知らない人たちが、さまざまな面をつけてさまざまなことを表現しているということを目の当たりにした時の驚きは、その全てが私自身にとって等しく遠いという意味で静かだった。とは言っても、面はいずれも多様で、能面からの影響を受けているだろうことがはっきりとわかるものもあれば、この世の何を表しているのかもはっきりとはわからない面もあり、あるいは地元の子どもたちが段ボールとマッキーで作って祭りに持っていくような面まであり、それらが実際に祭りの中で生かされ、祀られているところを見に行きたくなるものばかりだった。気になる向きがあれば図録を見て欲しい。あまりにも多様で、ここで全て触れるのはあまりにも骨が折れるし、自分に適切な形でそれができるとも思い難い。

 後半部では、そうした多様性に対して「分類」というアプローチが採られていた。ただ、ここでの分類というのはそれ自体が目的化しているというよりもむしろ、その面が表している具体的な対象を揃えることで、再び祭りや芸能、すなわちひとの営みの多様性の把握へと立ち返るという目的意識が現れていたような気がする。ひとを、動物を、鬼を、あるいは神を象るとき、その造形はおそらくその面を用いる芸能あるいは祭りのための制約が、その文化がそれらの存在をいかなるものと捉えているのかという自然観・文化観が、ひいては作り手の意思が規定しているはずで、同じものを描きながら異なってゆく数々の面を見ることは、その向こうに存在する多様性を(知ると言い切ることは難しい。それゆえに)想像することの糸口となるのかもしれないと思った(この展示を見ている間、『ラテンアメリカの民衆芸術』の仮面の章を思い出していた。冒頭に書いたような『ラテンアメリカの民衆芸術』に対する自分なりの理解は、むしろこの展示を見ながら再構築したものだった気がしている)。

 人が自然との繋がりの中で、自然のありようを捉えようとする試みが面に反映されるのであれば、次に立ち上がってくるのは、他ならぬその面とひととがいかに関わってくるかなのだろう。面の分類に続く章では、面を人の目につかないところでつけるのか、人前でつけるのか、面を顔に完全にかぶせるのか、被せないのか、そもそも顔につけるのかつけないのか、逆に、面の上から面をつけることはあるのかと言った、実際の面の使い方の中に、人と自然あるいはその表象との関係に焦点が当てられた。面の上に面をつける神楽は、見ようによってはメタフィクションのようでもあって面白いし、面を頭につけながら顔の横にずらしてつける祭りについて、そうすることでむしろ面の表す神と人とを厳格に峻別しようとしているという解説の逆説的でもあって興味深いし、スペースはそこまで広くなくとも、そうしたひとつひとつの具体的な内容を面白く読んだのを記憶している。

 しかし、その時に至ってもなお、私は自らが面とは縁遠い者であり、面の表を眼差しながら面に眼差されているという関係においてしか面のことを考えていなかった。続く章は短かった。順路の真ん中に、前後どちらからでも見ることのできる透明なケースが立っており、中には面が鎮座している。面の裏側から顔を寄せると、面の目の穴は思いの外小さく、双眼鏡を裏から覗いたみたいに、急に目の前の景色が遠くなった気がした。鼻の鼻や口の穴からもささやかに光が通る気がする。キャプションを読む。面は視界を大きく制限するものであり、時には鼻や口の穴から足元を確認する必要があるらしい。面は時代を超えて受け継がれていくものだから、時の踊り手に必ずフィットするものとは限らず、目の穴が踊り手の目の位置と合わない場合は、片目が見えない状態で踊るしかない。顔の形とフィットしないので、呼吸も大きく制限される。汗と湿気が面の裏にこもるかもしれない。解説の横には、大きく平たい透明な展示ケースがある。そこには五十はあろうかという面が整然と、裏返しになって並んでいる。全ての面の裏を見ながら、かつてその面をつけた人々の顔が触れたはずの、木目が剥き出しになったところを見ながら、面をつけるということの意味を再び想像する展示だった。面の表には、何かの表象が彫り込まれている。それは祈りだったり畏怖だったり楽しさだったり悲しさだったりするのだろう。しかし、面の裏側からは意外なほどそのかたちが見えない。面の中には、下の方に細い横木が渡してあるものもあって、それを咥えて面を保持するのだという。しかし、それ以外の造形はほとんどなく、ただ穴の空いた木の湾曲がある。面をつけることを想像する。ただ、生の木が顔に触れるだけのはずだ。視界は暗く、息苦しい。汗も湿気もこもるだろう。咥えた横木を必死に噛み締めていれば、垂れてくる涎さえ拭えないかもしれない。僕は面をつけたことがない。その展示に至るまで僕は他人行儀な他者性とともに面を見ていた。しかし、ひとと世界との関わりを、ときには制御したいと、ときには祝福したいと、ときには遠ざけたいと、ときには取り込みたいと思いながら、それをからだとモノで以って表現したのが祭りであり芸能であるとするなら、その普遍性の中にはとうぜん僕もいる。そしていつしかそうした切実さが薄れ、失われ、言葉とかたちだけが残ったとして、仮面の踊り手の意識の中にはいっさいそのような経緯がなかったとして、しかし、踊り手がからだや言葉を意思で以ってコントロールするとき、面を隔てた反対側にいる観客の意識の中に元通りの切実さを想起させるという形でそれらは蘇るだろう。とすれば、面をつけるということの身体性を想像することは、一見面をつける感覚に閉じているようでいて、あるいはその閉鎖性を意識するからこそ、かえって、面に誰かがかつてかつて託したような、ひとと世界とのつながりに対する切実な思いにまで想像を広げることにつながるんじゃないかと思った。

 それだけではない。展示にはまだ少しだけ続きがある。そこにはプロレスマスクがあり、おもちゃのヒーロー変身セットがあり、縁日のお面がある。僕は面をつけたことがある。保育園の頃、駅前の夏祭りで、妹と、ヨーヨーを釣ったり、金魚をすくったりして、そしておそらく「なんだか変だ」というそれだけの理由で、ひょっとこのプラスチックのお面を買ってもらった。その時の僕は知らない。ひょっとこは、数百年、あるいは千年も前に演じられていた踊りの道化の顔だ。それはかつてひとと世界の繋がりを、どうにか芸能として表現するために作り出されたはずの顔だ。時の流れの中でひとの笑いを誘い続けてきて、やがて芸能から遊離して、夏祭りのぼんやりとした明かりをまなざすようになり、僕の顔の上へ降り立った。そのことを僕は知らないだろう。知らないまま祭りを歩く。人並みに推されながら、盆踊りの太鼓を聴きながら、金魚の鰭のゆらぎに浮き足立ちながら。知らないうちに、ひとと世界のかかわりの切実さは、僕自身の思い出に接続される。その時、面をつけたことがない、その重さも、手触りも付け心地も知らないという他者性は、そこに託された切実さとその捨象を経た普遍性を介して当事者性へと転換する。特別展はそのことを思い出させる。

 もちろん気になる点がないわけではない(面をつけた者をヒーローとする書き方には一種のナイーブさや危うさをはらんでおり、その点についての個人的な評価は留保したい、など)ものの、当初の期待とは異なる形で、仮面がさまざまな意味でのメディアとして、大袈裟に言えば人間の歴史の中で担ってきたことへ思いを馳せることができる展示だった。この展示を見たことで、良い日になったと思う。

 

晩秋

はじめに

https://x.com/tsogen_eigyo/status/1783692480267063487?s=46&t=gV-3xtx9fmtQzfHVBy5tNw

 

いずれ来るとわかっていた冬の訪れがとうとう近づき、なんなら東京創元社がカウントダウンをはじめ、多くの読者もまた指折り発売までの日数を数え始めた頃に、僕は小市民を再読し、そしてこのブログを書いている。いつか冬期限定が出て、小鳩と小佐内という二人の人間の物語にピリオドが打たれるということが現実味を持って受け入れられない時期を10年を超えて過ごしたこともあって、先ほど河原町丸善で『冬期限定ボンボンショコラ事件』を手に入れた今となっても、まだ信じられないような気持ちでいる。

そしてそのような気持ちを記録できるのももうこれが最後だと気づき、キーボードを叩いている。

他者を知ることに関して

過去に自らのあり方と周囲の他者との間に軋轢を生じ、それに対する防御機構として暫定的な人生観を設定するというのは〈小市民〉シリーズでも〈古典部〉シリーズでも見られた物語の導入である。それらは例えば「小市民」という言葉で表されたり、「灰色」「省エネ」「やらなくていいことならやらない。やるべきことなら手短に」と言ったスローガンとして表現される。これらのスローガンが具体的にどのようなことを意味するのか、これらのスローガンに従えばどのような行動をすべきなのか、ということと同じくらい重要な点は、こうした人生観を掲げた主人公たちが、他者との関わりの中でどのようにこのスローガンを更新していくかというところにあると僕は思っている。

いくつかのもっともらしい理由を挙げて、〈小市民〉シリーズを〈古典部〉シリーズと対比しながら話すことを正当化することは容易だ。しかしそれ以上に、僕は、大げさに言えば小説を読むという楽しみを覚えた直後から、この二つのシリーズを読み、読み返し、行き来しながら、古典部の面々が、あるいは小佐内と小鳩が、いかにして自身の人生を手に入れるのかについて思いを馳せてきた。客観的な正当性よりはむしろ、個人的な思い出によって、〈小市民〉のことを考える時は〈古典部〉のことも考えてしまうし、〈古典部〉のことを考える時は〈小市民〉のことを考えてしまう。

小鳩と折木の共通点は例えば、小鳩がいうところの「知恵ばたらき」の得意さと、それがかつて彼らに災いをもたらしたというところに見出せる。例えば折木はかつて知恵ばたらきをした結果、物語開始当初掲げていたようなスローガンと共に「長い休日」に入らざるを得なくなった。しかし『氷菓』『愚者のエンドロール』において、そこにいない他者に対して(それがどこまで行っても不完全なものであるということを引き受けながら)考える続けるということが、やがて、いま現在自らが関わっている他者への理解を目指し続けることへと接続されるにいたった。そしてそのような「考え続ける」姿勢は、〈古典部〉のその後の巻においても引き継がれている。少なくとも僕はそう思って読んでいる。たとえば『ふたりの距離の概算』の章タイトルである「手はどこまでも伸びるはず」は、そのように他者理解への努力をやめないことを端的に表しているようにも見える。

ここで対比したいのが、『さよなら妖精』において守屋路行のモノローグである。守屋は文中で繰り返し、マーヤを遠い世界から来たひとだと意識する。それは地理的な意味ではかならずしも間違いではない。

マーヤは遠くから来たのに、時々とても近くにいる気がする。しかし近くにいるようでもやはり、マーヤは遠くから来た来たひとなのだ。

 言葉になる前のイメージがある。

 想像の中に円ができる。

 円は薄暗い霞に囲まれているが、円の中にはスポットライトが当たっている。円の中にはおれがいる。文原、太刀洗、白河がいる。おれが立っている場所は比較的円の中心に近い。文原もたぶんそうだ。白河はもっと中心に近いだろう。そして太刀洗は、やや外縁寄りに違いない。しかし結局、おれたちは同じ円の中にいる。その中で競い、その中で勝ちあるいは負ける。そして、誰も胸を張って言いはしないが、この円の中にいるそれだけで実は生きていけるようだ。

 しかしある日、その円の中にマーヤが飛び込んできた。聞くところによると、全く別の縁から飛んできたという。噂には聞いていたが驚いた。そんなことができるのか、と。いや違う、そういえばそんな手もあった、という驚きか。

 そしておれは思う。向こうからこちらに来られるのなら、こちらから向こうに行くこともできるに違いない。ひょっとするとそのことによって、おれたちはただ円の中にいるのではなくなれるかもしれないのだ。

 つまりそれは、言葉にするなら……。

(中略)

「教えてやろうか、ユーゴスラヴィアのこと。自慢じゃないが、この学校じゃいまやおれが第一人者だ」

この守屋の言葉を受けた文原はこう答える。

「ご苦労なこととは思うが、俺は、自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だとおもってるんだ」

この「手」のことを文原は

「いや、そのままの意味だよ。結局は身体だ」

というが、しかし、この言葉は示唆的だ。守屋が適切な形で、あるいは適切な動機で他者理解を行おうとしていたかはここでは問わない。しかし文原もまた、このような言葉でいまだ自らの知らぬ他者への理解を試みることに積極的でないことを表明している(それはそれで一つの哲学である)。一方で、前述のように他者理解を試み続けることが「手はどこまでも伸びるはず」と表現されている。いずれも鍵となるのは「手」だ。

ここで、「想像の中」にできた「円」をイメージしてみる。守屋は一つの円の中に何人もの人がいる図を想像していたが、簡単にするために一人だけ抜き出してみる。

灰色の円の中に黒い円が書かれている。灰色の部分には白抜き文字で「手が届く範囲」と書かれており、黒い部分には「自分」と書かれている。

図1

「自分」の周りには「自分の手が届く範囲」があり、その外側には「手の届く範囲の外」が広がっている。そして、ここに他者が飛び込んでくる。少なくとも守屋はそう表現した。

灰色の円の中に二つの黒い円が描かれている。灰色の部分には白抜き文字で「自分の手が届く範囲」と書かれており、二つの黒い円の中にはそれぞれ白抜き文字で「自分」「他者」と書かれている。

図2

守屋はまるでマーヤがこのような形で飛び込んできたのだと想像した。ここでの「自分の手が届く範囲」を日本、あるいは藤柴と考えれば一見納得できる。しかし「自分」に「自分の手が届く範囲」がある以上、他者にもまた他者の手が届く範囲があるはずである。

黒い縁取りの灰色の円が二つ、横に並んで重なっている。それぞれの灰色の円は内部に黒い円を含んでおり、黒い円どうしは重なっていない。黒い円にはそれぞれ白抜き文字で「自分」「他者」と書かれている。

図3

実際には、それぞれの手の届く範囲の広がりが重なっている。自らの手の届く範囲と他者の手が届く範囲が重なっている間、ときおり他者が自らの手の届く範囲に入ることもあるだろうが、それは決して、自分と他者がそれぞれの「手の届く範囲」を捨て、同じひとつ円の中に二人仲良く入っている状態を意味しない。

黒い縁取りの灰色の円が二つ、横に並んで重なっている。それぞれの灰色の円は内部に黒い円を含んでおり、黒い円どうしは重なっていない。黒い円にはそれぞれ白抜き文字で「自分」「他者」と書かれている。灰色の円の重なりの部分の幅の部分に、両端が矢印になった黒い線分が縦に引かれている。

図4

この、手の届く範囲の重なりの幅が、どれだけ両者が近い位置にいるのかを測る物差しになるかもしれない。他者が離れていくと、この重なりの幅も狭くなっていく。

黒い縁取りの灰色の円が二つ、横に並んで重なっている。それぞれの灰色の円は内部に黒い円を含んでおり、黒い円どうしは重なっていない。黒い円にはそれぞれ白抜き文字で「自分」「他者」と書かれている。灰色の円の重なりの部分の幅の部分に、両端が矢印になった黒い線分が縦に引かれている。図4と比較して灰色の円どうしが離れたため、この矢印の線分の長さも短くなっている。

図5

そして、いつしか自分と他者が完全に離れると、その重なりの長さもゼロになる。重なりの幅がすなわち、自分と他者の間に開かれた扉の幅とするなら、扉は閉ざされる。

黒い縁取りの灰色の円が二つ、横に並んでいる。二つの灰色の円は重なっていない。それぞれの灰色の円は内部に黒い円を一つずつ含んでいる。黒い円にはそれぞれ白抜き文字で「自分」「他者」と書かれている。

図6

守屋にとっての扉もまた、かつて閉ざされた。

 マーヤは藤柴を去った。

 それを、別世界への扉が閉じたとひょうげんするのは、ロマンティシズムが過ぎるだろうか?

守屋が想像した「自らの手が届く範囲」の外との関わり方とは、以上のようなかたちのものであったのではないかと僕は考えている。(こうした関わり方を人生哲学として抱き、そして、幸せな人生を送っている人もいるだろう。だから僕はこれを否定しない。そもそもこの文章は、一般にこの世に通用する人生哲学を求めることを目的とした文章ではない。だから、あくまで以下の文章は、僕が米澤穂信の文章を読むために考えたこととして、ただ、そのために単純化したモデルと、その検証のための文章として読んでほしい)

たとえば『さよなら妖精』と〈古典部〉を比較する限りにおいて、このような関わり方は祝福を受けることがない。その理由についてはいくつか思い当たることがあるが、たとえば、これは真の意味での他者理解ではないのではないか、と僕は思うことがある。自らの手が届く範囲の中に他者が入ってきて(あるいは他者の手が届く範囲の中に自分が飛び込んで)、それを理解して事足れりとする姿勢は、言葉にしてみるとどこか独りよがりである。

では、このモデルにおいて「手を伸ばす」とはどういうことか。少なくとも現時点において、僕は次のようなイメージを持っている*1

黒い波線の輪郭を持った灰色の円の中に黒い円が含まれている。灰色の部分には「手が届く範囲」、黒い円の内部には「自分」と白抜き文字で書かれている。灰色の円の外部には「外の世界」と黒い文字で書かれている。灰色の円の右側には指のように出っ張った同じ色の部分がある。

図7

手は伸びるものだから、手の届く範囲も可塑性を持っている。そこから「手」が伸びて、外の世界を探ろうとする。

図7の「手」の部分が不規則な方向へ伸長している。

図8

手は必ずしも一方向に伸びるとは限らない。他者を含み、他者の言い換えでもある外の世界はもちろん「自分」とは異なるのだから、その理解もまた困難なものかもしれない。少なくとも、思い通りにはいかない。そうした難しさが、時にはミステリにおける謎となる。

図7のような図形が左、中央上部、右に3こ並んでいる。それぞれ、図7の図形を反時計回りに約30度、時計回りに60度、時計回りに180度回転させた方向を向いている。

図9

外の世界とは「他者」そのものであるが、その「他者」にもまた「他者の手の届く範囲」があると考えれば、同様のかたちは至る所に存在する。それらがみな、他者を理解しようと試み、格闘し、悩み続けている。

図7の図形が反転して横にならび、指のような出っ張りが中央部において向かい合うように配置されている。左側の図形の黒い円の内部には「自分」、右側の図形の黒い円の内部には「他者」と白抜き文字で書かれている。

図10

しかし、もしかしたらそのような試みはいつか報われるかもしれない。外の世界を理解しようと伸ばされた手が、また別の他者の手と近づき、握手をする。これで完了ではないが、しかし、はじめて他者の存在を知ることができる。

たとえば、『氷菓』において折木は、ただ関谷純と神山祭をめぐる過去の出来事を推理して見せただけではない。「栄光ある古典部の昔日」を経て、折木供恵からの電話を受けて

そして、突き止めてやる。三十三年前、関谷純が本当に薔薇色だったのか。

と決意した折木が、その推理を話す場所として糸魚川養子教諭の前を選んだのは、ただ自らの推理の結論を、当事者の証言という証拠によって確固たるものにするためではあるまい。折木の推理は、三十三年前の出来事を明らかにするものであると同時に、『氷菓』という言葉に残された響きを取り戻すこと、部誌『氷菓』の「序」の書き手が

 争いも犠牲も、先輩のあの微笑みさえも、全ては時の彼方に長されていく。

 いや、その方がいい。憶えていてはならない。何故ならあれば、英雄譚などでは決してなかったのだから。

 全ては主観性を失って、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。

 

 いつの日か、現在の私たちも、未来の誰かの古典になるのだろう。

と書いた、その諦念ややるせなさやを掬い上げることでもあった。それは、自らの外側に広がり、いまもその向こうにいる誰かとの距離を引き離していこうとする三十三年という途方もない時間的断絶の中に、推理という手を伸ばすことでようやく成立した、現在の「わたしたち」と、三十三年前の「あなた」との間にある幽かな、ほんとうに幽かな理解である。「古典部」という、すでに自らの名前の中に、時間的遠近法、時間的断絶の存在を織り込んだ部活に不思議な縁からたどり着いた折木奉太郎にとって、あるいはその古典部におのおのの理由を持って集まった古典部の面々にとって、この時訪れた他者との遭遇、他者との理解は、もしかしたら一つの福音でさえあったかもしれない。

それだけではない。折木の推理は、千反田がかつて伯父の言葉によって泣いた理由を明らかにもした。「事情ある古典部の末裔」で千反田の願いを聞いた折木のモノローグは以下の通りだ。

 だが千反田は、落としてしまったものを過去から取り戻そうとしている。思えばそうだ、千反田はその好奇心で現在を掘り下げているようなやつだ。そいつが過去を掘ろうとするのは不思議でもなんでもない。伯父への手向けに、そして多分それ以上に自分のために千反田は過去を掘ろうとする。そして、不幸にしてこいつにそれを成し遂げるだけの力がないとしたら。

「過去を掘る」とは、時間的遠近法の彼方へ押し流されていく伯父との思い出、あるいはそれを否応なしに意識させてくる現在の法制度の比喩に対して、自らの能動的かつ指向性を持った移動によって抗うことだろう。それは、時間的遠近法という断絶の向こうへ手を伸ばそうとした折木と相似であり、相同である。であるならば、「それを成し遂げるだけの力がない」というのは、手を伸ばすことができない窮屈さのことである。あるいは、(千反田がそれを望むと望まないとにかかわらず)「自らの手が届く範囲」に閉じこもってしまうことでもあろう。折木の推理は、時間的断絶の向こうへ手を伸ばすことで三十三年前に置き去りにされた諦念へと辿り着き、それにより、千反田という、いま目の前にいる、自らが現に関わり続けている人間が、自らの望む「あなた」へと手を伸ばすことを手助けすることでもあった。米澤作品において、自分と他者が(あるいはその非対称性が気になるのであれば、他者と他者が)、互いに他者を求めて、まるで宇宙空間のような途方も無い広がりを持った空隙に手を伸ばし続けることの効用を、僕はたとえばこのようなところに見出しながら読んでいる。

 

小市民であるということについて

では〈小市民〉では、小市民をめざす二人はいかにして他者と関わってきたのか。〈小市民〉において「小市民である」と言うことは、小佐内と小鳩が小市民であるために結ばれた互恵関係と言う言葉で特徴づけられている。逆に、小佐内と小鳩それぞれが小市民であるということは、互恵関係という二者間の相互関係によって定義づけられていると言えるかもしれない。少なくとも『秋期限定栗きんとん事件』までに詳細に語られたことはないものの、小佐内も小鳩も、自らの性向に起因する人間同士のトラブルに懲りて、それを避けるために小市民を目指し、互恵関係を結ぶに至ったという。

少なくとも『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』までの間で小佐内と小鳩が念頭に置いていた互恵関係とは、意図して図3のようなかたちを構築することで、小佐内と小鳩「以外の」外部的な環境(人間を含む)から自らを防衛するようなものだったと考えられる。こうした関係は、目の前に存在する他者を他者と認める前に「自分(たち)」ではない、と切り分ける思想につながりうる。たとえばそれは、「小市民」を自称することそれ自体が自意識過剰なことである、と作中で小鳩が繰り返し述べていることにも通じるかもしれない。もちろん自意識がなければ自己を確立することは難しいかもしれないが、「小市民」を災いに巻き込まれないための免罪符、あるいはかつての自らの姿と訣別するための呪文として唱え続けることは、他者理解へとつながる他者への意識を欠き、歪なまでに相対的に自意識の側が大きくなった状態であるといえる。あるいは小佐内と小鳩でない二人なら、そのような状態でもうまいことやっていくこともできたのかもしれない。しかし、他ならぬ小佐内と小鳩の性向がそれを難しくしてきた。あるいは、「小市民」「互恵関係」という言葉、あり方のいびつさを、幸運なことにも抉り出したと言えるかもしれない。

小鳩にとっての「推理」、小佐内にとっての「復讐」は、作中では堪え難い欲求のように描かれる。そしてこの欲求はたちの悪いことに、かつて自らに降りかかったわざわいを遠ざけようとして新しく心に決めたはずの「小市民としていきたい」という願いすらも覆い隠してしまう欲求である。小鳩の内心がある程度反映されていると思われる地の文において、小鳩は繰り返し、自らが推理してしまうことに対する言い訳を提示し、時にはその言い訳に小佐内を利用しさえする。小佐内にしても、自らが復讐へと駆り立てられていることを知りながら、互恵関係という名のもとに小鳩を利用してまで復讐を完遂しようとする。『夏期限定』において小佐内と小鳩が互いに指摘し、了承したように、二人の互恵関係は春期から夏期にかけて、その転倒したあり方を徐々に明らかにされてきた。つまり、小市民であるために必要であったはずの互恵関係は、その実、小市民から彼らを遠ざけるはずの彼らの性向を消極的に追認するための言い訳になっていた。

ここでいう「小市民」というものが具体的に何を指しているのか、というのは、作中通して具体的に明言されることはない。もちろん、個別の場面において「こういうときにこうするのが小市民」と言及されたり、そもそも読者である僕たちがすでに「小市民」という語に持っているイメージなどを通して、ぼんやりとしたニュアンスのようなものは伝わってくる。しかし、彼らが「小市民」という語を与えて表現した人生観がいったいどのようなものであったのかを、明文化して示すのは難しい(そもそもひとひとりの人生観という計り知れないものを定性的に他者が把握すること自体があまりにも困難であり、倫理的な問題を含む)。これは折木の「省エネ」などについても同じことが言える。だから僕はむしろ、そのような語を当初与えられていた登場人物たちの人生観が、どのような理由によってどのような修正をせまられ、結果としてどのように変革していったのか、あるいはどのようにしてその必要性をうしなっていったのかという、そのダイナミズムの方に興味を惹かれる。これは言い換えれば、小鳩が、あるいは小佐内が、自らの人生に起こった出来事と自らの人生観を照らし合わせ、合理的な判断のもとに人生観を変更していくという無限に繰り返されてきたプロセスの総体のことである。あるいは、コミカライズ版『春期限定いちごタルト事件』『夏期限定トロピカルパフェ事件』の原作者あとがきにおいて、複数回にわたり米澤がマックス・ウェーバーを引いていたことを思い返せば、これは学問のプロセスにも似ているという気もする。『職業としての学問』を読んだので、これから『職業としての政治』も読むつもりでいる。

それは敗北ではない。学問は時代遅れになることを自ら欲するのですから。

book.asahi.com

ともあれ、〈小市民〉では巻を追うごとに小鳩と小佐内の人生観が随時更新されている。『春期限定』では、冒頭から小鳩と小佐内は「小市民」というスローガンを掲げたものの、そのスローガンでは結局みずからの性向、欲求を飼い慣らすことができない。その過程において、小鳩は小佐内のことを助けるために堂島の助けを借りようとするが、堂島はいちどはその頼みを以下のように断る。

それが、どうした? いまの話はお粗末にも程がある。お前にはそんな気はなかったかもしれないが、いまお前がやろうとしているのは、『都合のいいようにひとを踊らす』ってことだとわからんか。

小市民というスローガンの持ついびつさが『春期限定』中もっとも(少なくとも作中において)客観的に指摘されるシーンはここだろうと思う。ここで小鳩は、(勝手に自分たちで定めた「小市民」であるという目的のために本来互恵関係という名のもとに遠ざけようとしてきた)「他者」の力を、理由を曖昧にしたまま借りようとしている。堂島はこの小鳩のスタンスを、以前の小鳩の姿と比較して批判している。

 なら、なおさら、考えろ。お前はそっちが似合ってる

(中略)

 前のお前は嫌なやつだったが、俺は、嫌いじゃなかった。……小市民とやらになりたいなら、なればいい。だがな、俺はそんなやつの頼みを聞くのはごめんだ。

〈小市民〉シリーズにおいて、地の文と小鳩の内心をどれだけ一致させて読んでいいものかは悩ましい。しかし、少なくとも小鳩はこの時点においては、堂島の言葉を容れている。結果としては詭弁に近いようなオッズの議論に基づいて堂島を説得するものの、そもそもそのような形で堂島を納得「させなければならない」という判断に至ったことこそが、小市民的世界観における平板で一面的な「他者」像の中で、少なくとも堂島の周辺においては不均一性を認めたということの表れなんじゃないかと思っている。こうした限られた特異点が、のちの互恵関係の解消を導くための伏流した補助線となっているとも思う。

この、(小鳩の視点においては堂島という特異点を加えられた)平板的な他者像は『夏期限定』にも引き継がれる。小鳩は『春期限定』において、悪い言い方をすれば堂島を「操って」自らの意の沿うように動かそうとしたが、これは小佐内が復讐を行う際、自分の周りの他者を動かすことによって目的を完遂することが多いところと似ている。こうした他者像は、互恵関係を結んでいる相手を完全に理解しているといいきることと表裏一体である。

ぼくが思うに、これは小佐内さんを信じ抜くことで片がつくだろう。

小佐内が巻き込まれた事件と、その裏側にある小佐内の思惑を見抜こうとした小鳩はこう発言したが、しかし、(これについても、小佐内の発言をどこまで字義通り読んでいいかは場面によって異なるとは思われるものの)小佐内の真意は小鳩の想定の届かぬところにあった。

わたし、怖かったの。

小鳩は小佐内がどのような人間なのか、その見積もりを誤ったとも言える。いや、見積もろうとしてすらいなかったのかもしれない。「信じ抜く」という言葉が発せられた背後には、小鳩にとって小佐内もまた他者であるということ、そして、他者という存在が根本的な計り知れなさを持っているということを、互恵関係という言葉が覆い隠していたという事情があったのかもしれないし、小佐内が

ほらね。わたしたち、さよならしようってお話を自分勝手に切り出されても、痴話喧嘩もできないの。それが正しいか、妥当なのかで判断しようとしてる。考えることができるだけ。

(中略)

 ……ずっと一緒ってわけには、いかないから。

と語るように、小佐内の側にもまた、小鳩という他者の計り知れなさを見誤った部分はある。しかし僕たちはすでに、そのような過ちを糾弾する別の言葉を知っている。

あなたちょっと、わたしを冷たく見積もりすぎじゃないの!

米澤穂信さよなら妖精

ただ相手のことを誤解するというだけではない、互恵関係という建前のうらで自らの欲求を慰めたり、他者が人生をかけた(かけてしまった)理念に基づく旅を、自らの閉塞的な生活の風穴と誤解してしまったり、それ自体は仕方ないこととは言え、それらは構造的な背景をともなって他者を軽んじることにつながりうる。そしてそれは、他者に「手を伸ばす」ことを怠ったところから始まっているのではないかと僕は思っている。

『冬期限定』を待つ間、『秋期限定』のラストの印象深さのことをよく思った。

たったひとり、わかってくれるひとがそばにいれば充分なのだ、と。

かつて「小市民」というスローガンと、目の前の他者が当たり前に持つ他者性から目をそらすことを許され続け、こうしてついには破綻した二者関係が、相手が自らにとって欠かせぬ存在であると認識するといういわば最も初歩的なステップを踏み出すことによって回復しはじめる。『さよなら妖精』は破綻で幕を閉じた。〈古典部〉は逆に、他者に対する眼差しをすでに前提とした上で、人生観の変遷が描かれている。ゆえに『秋期限定』のラストの忘れ難さは、他者を他者と認め、関係を結ぶという、人間同士が交わりゆくというダイナミズムのその一番はじまりにあるもっとも基本的な構成要素を、とうとう小佐内と小鳩が結び得たという、原始的な力強さ故に生まれているのかもしれない。もしかしたらその未熟さにこそ着目する人がいるかもしれない。しかしそれは焚き火に火をつけるためのマッチのような未熟さである。その明るさを書くためには、いちど夜の帳が下ろされている必要がある。暗闇に慣れた目にとってその明かりは眩しいかもしれない。そのような意味において、小佐内と小鳩はふたたび、ひとりとひとりとして、二人の他者として、出会い直したと言えるかもしれない。

小鳩と小佐内の人生観はシリーズを通して暫定的なものであり続け、修正を重ねられ続けた。それは『秋期限定』でも同じだろう。二人が『秋期限定』でたどりついた結論を僕はずっと祝福してきた。彼らが

やっとぐるっとひとまわり

してたどり着いた場所を、僕はたしかに愛おしいと思った。しかし、『冬期限定』が訪れるとわかった以上、『秋期限定』の結論もまた暫定的なものだろうと思う。なにより小鳩はこう言っている。

お互いの美学をわかり合うには、まだもう少し時間が必要だ。

必要だった時間が十分に与えられた時、どのようにわかり合うのか、具体的な予想めいたことはしないようにしようと思う。しかし、彼らは互いを他者として認める準備が整っている。したがって、たとえば、二人はこれから互いに手を伸ばし合うだろう。あるいは、互いに伸ばした手が結ばれることがあるだろう。それが、自分以外がすべて他者であるようなこの世界という環境の中で、ひとりとひとりが寄り添って生きていくために必要なことであると二人はすでに知っているからだ。あるいは二人がやがて道を分かち、ひとりとひとりとして生きていく覚悟が求められた時、そのことが彼らの背中を押すだろう。なぜならそれは、幾度となく修正が重ねられてきた人生観の記憶であると二人は知っているからだ。いずれ二人はまたそれぞれの、暫定的な結論に幾度もたどり着くだろうと思う。そしてそれらが暫定的なものである限りにおいて、二人は大丈夫だろうと思う。遠回りをするかもしれない。また傷つくときが来るかもしれない。しかし、ふたりはなんとかやっていけるだろうと思う。なぜなら、手はどこまでも伸びるはずだからだ。

 

(敬称略)

*1:Keynoteで描いてみて思ったが、これはコンピューターサイエンスの研究者であるMatt Mightが書いたかの有名なKeep Pushingの図に似ている

『アオのハコ』を読んだ

めちゃくちゃいいぞって誰かが言っていた。だから、自分も読もうと決めた。

youtu.be

音楽でもいい、ゲームでもいい、もちろんスポーツでもいい。なにか恋愛とは別の語を用いて表されるなにかを扱う作品において、登場人物間に恋愛関係を設定することはこんにちごくありふれた光景である。そして、ごくありふれているからこそ、もとよりそこに存在していた恋愛とは何か違うように思われるそれと恋愛との位置関係はぼんやりと不可視化されやすい。

そして、ふと時折立ち止まってみると、まるで自宅へ帰る道がときおり遠く知らない国の路地みたいに思えるみたいに、そのことが急に不思議に思われてくる。その二つはいかにして、同じ作品の中に自らの居場所を獲得し得たのだろうか。

一方で、すべての言葉は恋の隠喩であるとでも主張するかのように、稠密に恋愛の話をし続ける作品もある。恋愛の味を説明する。そう言い置いて、ひとくち恋愛を口に含む。つながろうとしている。開かれようとしている。つねに届かない。かつては届いたことがある。飛び石。濡れた靴。乾こうとしている。かつて川を渡れなかった。

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僕ははっきり言うと、そのような作品のことが少し苦手だと思うことがある。かように簡単に恋愛という概念が(作品の中の)別のものにも侵入してくる現在にあって、一切のエクスキューズを欠いた状態で語られ続けると言うところに、どうしても重大な見落としがあるのではないかと言う気がしてしまう。あるいは、そのような語り方を全うしようとする時、その思想や姿勢自体が、かえって人生と恋愛とを同一視するための実験として機能してしまうから、逆説的に、人生における他の事柄と恋愛との距離感についての思想となってしまう。そして、稠密に恋愛の話をし続ける作品は、現にそうした実験じみてはいないのだから、稠密に恋愛の話をし続けられると言うところに逆に不十分さを感じてしまう。実のところは違って、単純に目の前の作品にキュンキュンできないと、却ってそう言うところが気になってしまうというだけなのかも知れない。今後の展望としましては、ラブコメを読み続けていくことでそれを確かめていきたいと考えております。これで私の発表を終わります。ご質問がある方はいらっしゃいますか。あ、〇〇先生、お願い致します。

例えばここに、部活でバドミントン漬けの毎日を送りながらも、好きな人のことを考えているひとりの人間がいるとする。その人の好きな人は、バスケットボールの選手で、中学の引退試合で負けた翌日、泣きながら、それでもシューティングをやめることができなかった人間だとする。バスケットボールが上手く、チームの主力として活躍し、その人柄から学校内のいろんな人から慕われていて、毎朝いちばんに体育館に現れる。その背に追いつこうと、バドミントン部のその人もまた、体育館に一番乗りをして、練習をしている。訳あって、バスケットボール部のその人は、バドミントン部のその人の家に居候することになる。一つ屋根の下に暮らすからこそ、そこには気遣いが生まれ、好きだと言う気持ちを隠したまま、お互いが最も大切にしているスポーツのため、共に早起きをし、共に励まし合い、共に悩みの存在に思いを馳せ、そうやって暮らしていくとする。お互いがお互いの上達と、試合での成功を望んでいる。それはなぜか。バドミントン部のその人は、自らが追う側の人間だと言う自覚を持っている。そこに思い込みに起因する非対称性が生まれる。違う。みずからの道を進むとき、夜道、暗い中、遠くにランタンのあかりが見えるとする。ランタンのあかりに惹かれて、二人は合流し、同じ道を歩き出す。二人はある意味では、お互いがお互いの似姿である。その時、その道行きが偶然重なる者同士、互いの旅の安全を祈るのに似ている。重なった道のりの上で、恋愛とは最初は近づきたい気持ちを生み出す機構であり、やがて互いの旅の安全を祈るものへと変わる。そのダイナミズムだ。そのダイナミズムによって、恋と人生はやがて不可分になる。バスケットボール部のその人、鹿野千夏は、一緒だ、と言う。恋愛とバスケットボールは不可分であり、いまや一つのものになったのだと宣言する。それはまた、バドミントン部のそのひとにとっても同じことだろう。

アオのハコはそのようにして、恋愛と人生とを混ぜ合わせる。

 

関宮に行きました(あるいは「安寿と厨子王ファーストツアー」について)

2022年11月19日、兵庫県養父市関宮に行った。

 行こうと思い立ったきっかけは米澤穂信先生の講演会『山田風太郎ニヒリズム』を聴くためだった。

 京都からだと山陰本線を延々乗り継いで三時間、さらにそこからバスに乗らないとたどり着けない遠いところだけど、しかし、山田風太郎記念館があるということでかねてから気になっていたのだ。

futarou.ez-site.jp

だから、米澤先生の山田風太郎賞受賞記念講演会があると知って一も二もなく今回の旅行を決めた。遠く、そしてなかなか足の向かない場所に行くには、ふっと通り過ぎていくきっかけの背中に飛び乗るしかない。幸運なことに、僕はその背に飛び乗ることができた。思い切って良かったと思う。養父から城崎へ抜けての小旅行は久しぶりで楽しかったし、道中様々なひとにとてもよくしていただいた。短いが記憶に残る旅行になったと思う。

 しかし、このブログ記事は旅行記ではなく、また、講演会録を詳しく書き起こすものでもない。僕がいかなる旅行をしたかに興味のある人はあまりいないだろう。そして、講演会録は勝手にここに書き起こして良いものではないだろう。また何より、僕はまだ山田風太郎作品をまだ多くは読めていない。つまり、山田風太郎に関するひとつの評論を記録するに適格ではない。つまり、まだ自分は講演会の内容を正確に書き起こせるとはとても思えない。

 だから以下では、あくまで関宮で見て、そして聞いたことをきっかけに、ここのところずっと考えていたことを書き残すに留めようと思う。(以下敬称略)

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よりもいを観たあとの書き殴り

「お前はよりもいを観ろ」「なんでオーロラの件りばかり知ってるんだ」と言われて、ずっと観るぞ観るぞ言っていたよりもいをとうとうさっき観た。(南極へ向かうわけではないが)船の中で観たのは、それが作品における四人の旅路とリンクするからと言うわけではあまりなく、一気見するためにネットを断ち、集中できる時間を作り出す格好の機会だったからだ。

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初めて冴えカノfineを観たときの感想

 Twitterだけだとなんだかな〜と思ったのでブログを作ろうと思い立ちました。先輩や同期や後輩のブログを見ていて、なんとなく憧れてしまったというのもある。これから何を書くかは全く決めてないけど、ダミーテキスト的な文章を置いておいて、とりあえず箱を作っておこうかなと思った。つまるところLorem ipsum dolor sit amet......みたいな文章を置いて、形だけ作っておこうということです。

 と、思っていたところ、

とのご意見を頂いたので、fineの感想を置いておきます。

 Lorem ipsum......というテキストは、詳しいことはよく知らないのですが、賢い人は大きい喜びを得るために目の前の喜びを拒むこともある、というような趣旨の文章を元に出来上がったダミーテキストらしい。すこしfineを想起しませんか。

 以下、ネタバレを含みます。

 

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